徳山興産株式会社

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70年の歩み
昭和26年

昭和26年

鋼屑の集荷・販売を主業務として設立。商号を有限会社徳山興産資本金を50万円とする。

昭和28年

旧日新製鋼㈱徳山工場(当時 日本鉄板、現在日鉄ステンレス)の電気炉操業開始と共に同社製鋼用主原料の直納店として指定を受ける。

創業当時の事務所

創業当時の事務所

創業者 管田 義秋

創業者 管田 義秋

昭和30年

昭和32年

徳山興産株式会社に組織変更。資本金を300万円とする。

昭和34年

旧日新製鋼㈱の発足により、同社呉製鉄所への鋼屑納入契約を受注。

昭和36年

旧日新製鋼㈱への納入量の増加に伴い、工場の拡充を図り、徳山市二葉開作に主力基地として
櫛ヶ浜工場を開設。

昭和37年

旧日新製鋼㈱周南製鋼所(現在、日鉄ステンレス㈱山口製造所周南エリア)の電炉完成と共に
製鋼主原料の構内処理、炉前搬入作業を受注契約、現在に至る。
日新構内作業部発足(現在、日鉄ステンレス構内作業部)

昭和38年

資本金を1,000万円とする。

昭和39年

鋼屑輸送部門の効率化を図る為、系列会社として新興運輸㈱を設立、輸送業務の移管を行う。
ステンレスの加工分野に進出。徳山市住崎町にステンレス加工工場を建設し、各種ステンレス
加工品の製造・施工・販売に着手。

昭和40年

昭和44年

資本金を3,000万円とする。
加工部門の拡充と量産体制の確立を図る為、現在地(周南市野村)に新工場を建設。
住崎工場を閉鎖し、新工場への移設統合を行う。

ステンレス加工工場

ステンレス加工工場

昭和45年

資本金を4,500万円とする。

昭和48年

ステンレス加工工場建屋を増築。

昭和50年

昭和52年

本社社屋「徳山興産ビル(6F)」落成。
昭和52年 社内報「こうさん」創刊

社内報「こうさん」

昭和54年

水上金属工業㈱との営業権譲渡契約により、
同社シンクトップの生産販売、流し台販売事業に
係る設備及び要員を吸収し、奈切工場として事業を継承。
同時に同工場構内に徳山営業所を下関市清末に下関営業所を開設。

下関営業所

昭和56年

サンウエーブ工業㈱と業務連携(奈切工場)。

サンウエーブ工業
昭和60年

昭和60年

狂喜乱舞する当社オリジナル
ステンレス製みこし(大徳山夏まつり)

ステンレス製みこし

昭和61年

サンウエーブ 徳山ショールーム開設
(現在、ステンレス周南㈱本社)。

サンウエーブ 徳山ショールーム開設

昭和62年

ステンレスキャビ流し台の組立ライン

ステンレスキャビ流し台の組立ライン
平成元年

平成元年

代表取締役社長に管田新市が就任。

管田新市

平成2年

栗屋工場が工業団地内に完成。
鋼屑部門の処理能力増強と合理化の為、徳山市二葉開作
(櫛ヶ浜工場)から徳山市大字栗屋の工業団地に
鋼屑集荷・処理基地として新たに栗屋工場を開設。
販売の効率化を目指して徳山営業所を
奈切工場構内から徳山市二番町に移設。

栗屋工場

平成8年

販売部門強化の為、営業部門を分離独立させ、ステンレス周南㈱を発足する。

平成10年

平成12年

代表取締役社長に管田八重子が就任。
ステンレス周南㈱の本社を住崎町に移転。ショールームを開設する。

管田八重子

平成18年

有限会社徳山メタルとの営業権譲渡契約により要員を吸収し、事業を継承する。

平成20年

平成23年

代表取締役社長に管田英男が就任。
徳山興産60周年・ステンレス周南15周年を迎える。

管田英男

平成24年

山口総合建材株式会社との営業譲渡契約により、要員を吸収し、事業を継承する。

平成28年

徳山興産65周年・ステンレス周南20周年を迎える。

平成31年・令和元年

日新製鋼㈱の社名が日鉄ステンレス㈱に変更となり、日新構内作業部を日鉄ステンレス構内作業部と事業所名を改称。

令和元年

令和2年

新興運輸株式会社を徳山興産株式会社へ吸収合併し、事業を継承する。

令和3年

奈切工場事業終息に伴い閉鎖。

令和4年

6月26日 徳山興産70周年を迎える。

製品の歴史

製品の歴史
製品の歴史

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